當麻寺 西南院 関西花の寺 第二十一番霊場、仏塔古寺十八尊 第八番霊場
西南院 當麻寺



當麻寺の創建については、伝説の霞につつまれているが、
推古天皇の20年(612)に用明天皇の皇子、麻呂子親王が
御兄聖徳太子の教えによって、河内国山田郷に一寺を
建て丈六の弥勒仏を安置し、萬法蔵院禅林寺を草創され
た。70年余り後、親王の孫にあたる當麻国見が、役小角
練行の地に遷造し、天武天皇9年即ち白鳳9年(681)2月15日に起工した。同16年に至って、金堂、講堂、
千手堂、東西両塔その他ことごとく成り、百済の恵潅僧正が導師となって、諸堂諸仏の供養を修し、
寺号を當麻寺と改めた。
 

本堂とも呼ばれ、曼荼羅信仰の中心となっている堂で千手堂の後身であると寺伝はつたえている。 また、西堂とも呼んでいる。その創立の時期は古く、しかも古い伝統の一方を保持しながらも、中世以後の信仰形態 の変化に伴って、それへの適応が行なわれる時、金堂が現存しながら本堂が生じるのである。 桁行七間(正面21.02m)梁行六間(奥行18.06m)寄棟造、本瓦葺で、東面して建っている。背面北寄りに純和様の木 瓦葺の閼伽棚(鎌倉時代)が付加されている。 堂内は、中央柱通しで内陣、外陣に分けられ、天平様式を伝えるニ重虹梁蟇股(こうりょうかえるまた)の 架構をみ せ、桁行三間もの広い須弥壇を作り、厨子を置いて曼荼羅を祀っている。外陣の棟木には、永暦2年(1161)の墨書銘がある。また、正面礼堂に懸けられた鋳銅製の鍔□には、延徳2年(1490)の造立銘がある。
内陣には御本尊當麻曼荼羅をはじめ、来迎阿弥陀如来、中将姫像、十一面観音菩薩、弘法大師、役行者等を安置している。
 

金堂は、上代寺院制にみられる最も中心的な堂で、本尊を安置し、ただ礼拝を行う堂である。平安末期の治承4年(1180)平重衡か南都焼打ちの際、越中次郎が竹の内峠を越えて當麻寺に乱入し一山に放火したと言われているが、巨大な丈六の御本尊弥勒仏が草創当初のままの姿であることから、曼荼羅堂や東西両塔をはじめ、この金堂も焼失してい ないことは明らかである。しかし、甚だしく破損をしたため、寿永3年(1184)に再興し、正中3年(1326) に修理されたことが棟札に記されている。 再建当初は、流し板葺の板屋根であったが、これは、瓦茸にするまでの暫定的なもので、今日では殆ど見られないが、 曼荼羅堂の閼伽棚(あかだな)にただ一つの実例をみることができる。桁行五間(正面12・10m)梁行四間(奥行9.54m)の入母屋造、本瓦葺の建物である。 内陣正面左よりの柱に、文永5年(1268)の「田地寄進文」が墨書されているが、寺への田畑などの寄進の趣意を 墨書や刻みつける例は、鎌倉期前後に行なわれたようで、堂宇沿革を知る上での貴重な資料になる。
堂内には、御本尊弥勒仏(国宝)をはじめ四天王(重文)、不動明王を安置している。
 

鎌倉時代の乾元2年(1303)の再建の寄棟造り木瓦葺で、桁行七間(正面17.87m)梁行四間(奥行12.44m)の 横に長めの堂である。 教典の講義やその他の宗教行事の実用に供したため、金堂に比べて広くて大きい。外陣は天井を設けず、 化粧屋根裏とし、正面と背面は土間になっている。 内陣は拭板敷で、奥に木造の須弥壇を置いて、御本尊阿弥陀如来(重文)及び妙幢菩薩(重文)等の仏を安置している。
 

東西両塔は、金堂より南東の東塔と、南西の西塔の二基が山にせまった小高い丘陵に対称的に建てられ、 村はずれからも望むことのできる美しい三重の塔である。 白鳳-天平時代の伽藍配置で、金堂より塔が高い所にあるは異例である。様式上、東塔は白鳳、西塔は天平時代といわれ木組からは東塔は 天平、西塔は平安初期とみられる。 かなり長い期間をかけて造営されたものであろう。建立年代に諸説はあるが、東西両塔が揃って残る唯一の古代伽藍で、その貴重さは多言を要しない。東塔は初重のみを三間とし、二重、三重は二間にしている。各層共軒の出が深く、組物は三手先で、肘木や軒支輪の傾斜はゆるく軽快であり、遠眺は非常に優雅である。
相輪は、通常の九輪が八輪しかない変わった形式で、魚骨形のような特意の水煙の意匠で知られている。
西塔は、三重まで三間で、東塔にくらべずんぐりしているが、量感を感じる。相輪は東塔と同様八輪で、華麗な唐草模様である。水煙の意匠は、優秀であり、古さも薬師寺東塔の水煙に次ぐものである。東塔は金剛界大日如来、西塔は胎蔵界大日如来を御本尊としてお祀りする。
 
當麻寺の主な文化財

・弥勒仏 (金堂) ・妙幢菩薩 (講堂)

・四天王

(金堂) ・當麻寺縁起  
・當麻曼荼羅 (本堂) ・當麻曼荼羅縁起  
・十一面観音 (本堂) ・板光背  
・中将姫 (本堂) ・石燈籠  
・阿弥陀如来 (講堂) ・梵鐘  
・地蔵菩薩 (講堂) など
 


   當麻寺練供養(聖衆来迎練供養会式)

「當麻寺お練り」「當麻れんど」「迎講」と呼ばれるもので、寛弘2年(1005)叡山横川の恵心僧都が、「當麻曼荼羅を帰依し、中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる。」と伝えられる。以前は、中将姫が生身往生した旧暦3月14日に行われていたが、現在は、5月14日午後4時より行われる。曼荼羅堂を西方極楽に擬し、その東方にある娑婆堂を人間界とし、その間、約100mの長い来迎の橋を渡す。まず中将姫の輿を極楽から現世の娑婆堂に移し、次に極楽浄土から二十五菩薩の聖衆の面や衣装を着けた人達が、人間界へ来迎し、そして、中将姫は観音菩薩の捧仕する蓮台に迎えられ、再び極楽浄土へと帰って行く儀式で、来迎引接の有様を再現する。

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